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源義経伝説

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鳴子温泉 義経ゆかりの湯 姥乃湯 まだまだ見習い若女将の沙織です。


鳴子温泉、本日のお天気は晴れです。





今日も暑くなりそうです((((;゚Д゚)))))))


しっかり水分補給をっ!





源義経伝説「源義経 決死の平泉行」

時は平安時代 藤原三代100年の平和と繁栄が続いた奥羽(東北地方)とは裏腹に都では貴族間の政権争いが起こり、保元・平治の乱に発展、源氏と平氏が死闘をくり返しついに平氏が政権をとったが、政情は一向に安定しなかった。

敗れて伊豆に流されていた源頼朝は、治承四年(1180年)平氏討伐の兵を挙げ、平泉にあった源義経は兄頼朝の挙兵を聞き、ただちに駆け付け平氏の軍を追い、寿永四年(1185年)三月、長門の国壇ノ浦で平氏を滅ぼすに至った。

ところが義経は後白河法皇の策動により、兄頼朝との間に不和を生じ、官位をはぎ取られ行方をくらました。頼朝は、後白河法皇に義経追捕の命をせまり、懸命の捜索を続けたのだ。

一方、義経は平泉の藤原秀衡(ふじわらのひでひら)を頼り、文治二年(1186年)二月、十数人の家来と夫人・北の方(河越太郎重頼の娘)を同伴し、山伏姿となって密かに京を逃れ、北陸路に
向かうこととなった。
歌舞伎「勧進帳」の名場面で知られる安宅の関や、出羽の国、念珠ヶ関を経て最上川を遡り、藤原秀衡の元に身を寄せたのである。

実は、この平泉落ちの順路の中で、出羽の国と平泉の間が文献から脱落しており、このため方々に「義経平泉落ち」の物語が伝承されているのである。 ここに、鳴子地方に伝わる物語を概略する。

出羽の国に入った義経一行は、羽黒山の霊場を訪れたという。山伏姿の一行にはそれが必要であったのだろう。清川から川舟に乗り、最上川をさかのぼり、合川の津(渡し場)に上陸、難所亀割峠に向かったが、そこには一大事が待ち受けていた。夫人北の方が産気づいたのである。

弁慶の産婆役で何とか男の子を産み落としたが、どうしたことか産声ひとつ上げないのである。一行は急ぎ鳴子を目指して旅立ち、中山越えして鳴子温泉にたどりつき、温泉の効き目によって初めて産声をあげたと伝えられている。その湯が、川沿いという地理的条件から「姥の湯」であろうという。正に「義経伝説の湯」なのである。

産み落とした峠にちなんで「亀若丸」と名付けられた赤子と義経の一行は、赤這、鍛冶谷沢を経て、栗原寺にて、秀衡の使者樋爪太郎と共に無事平泉に至ったという。

この物語から、亀若丸の産湯つまり「姥の湯」に変化したものとされる。その後、「姥の湯」は温泉として開湯。文献によると奇しくも1603年、徳川時代幕開けの年であった。




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  • 2013.06.06 Thursday
  • 09:30

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