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鳴子温泉 周辺観光

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鳴子温泉 四種の源泉


義経ゆかりの湯 姥乃湯 まだまだ見習い若女将の沙織です( ^ω^ )


本日の鳴子温泉のお天気は…





霧雨が降っており、肌寒いです。


霧もすごいですね( ̄◇ ̄;)


鳴子温泉へお越しの際は、薄手の上着をお持ちすることをオススメします!


本日は鳴子温泉 周辺観光のUPしたいと思いますp(^皿^)q






こけし館

童話作家でこけし研究家の深沢要氏のコレクションを中心に、東北各地の伝統こけし約5000点を展示。
こけし職人の制作実演や絵付け体験もできる(有料・10名以上要予約)





源義経伝説「源義経 決死の平泉行」

時は平安時代 藤原三代100年の平和と繁栄が続いた奥羽(東北地方)とは裏腹に都では貴族間の政権争いが起こり、保元・平治の乱に発展、源氏と平氏が死闘をくり返しついに平氏が政権をとったが、政情は一向に安定しなかった。

敗れて伊豆に流されていた源頼朝は、治承四年(1180年)平氏討伐の兵を挙げ、平泉にあった源義経は兄頼朝の挙兵を聞き、ただちに駆け付け平氏の軍を追い、寿永四年(1185年)三月、長門の国壇ノ浦で平氏を滅ぼすに至った。

ところが義経は後白河法皇の策動により、兄頼朝との間に不和を生じ、官位をはぎ取られ行方をくらました。頼朝は、後白河法皇に義経追捕の命をせまり、懸命の捜索を続けたのだ。

一方、義経は平泉の藤原秀衡(ふじわらのひでひら)を頼り、文治二年(1186年)二月、十数人の家来と夫人・北の方(河越太郎重頼の娘)を同伴し、山伏姿となって密かに京を逃れ、北陸路に
向かうこととなった。
歌舞伎「勧進帳」の名場面で知られる安宅の関や、出羽の国、念珠ヶ関を経て最上川を遡り、藤原秀衡の元に身を寄せたのである。

実は、この平泉落ちの順路の中で、出羽の国と平泉の間が文献から脱落しており、このため方々に「義経平泉落ち」の物語が伝承されているのである。 ここに、鳴子地方に伝わる物語を概略する。

出羽の国に入った義経一行は、羽黒山の霊場を訪れたという。山伏姿の一行にはそれが必要であったのだろう。清川から川舟に乗り、最上川をさかのぼり、合川の津(渡し場)に上陸、難所亀割峠に向かったが、そこには一大事が待ち受けていた。夫人北の方が産気づいたのである。

弁慶の産婆役で何とか男の子を産み落としたが、どうしたことか産声ひとつ上げないのである。一行は急ぎ鳴子を目指して旅立ち、中山越えして鳴子温泉にたどりつき、温泉の効き目によって初めて産声をあげたと伝えられている。その湯が、川沿いという地理的条件から「姥の湯」であろうという。正に「義経伝説の湯」なのである。

産み落とした峠にちなんで「亀若丸」と名付けられた赤子と義経の一行は、赤這、鍛冶谷沢を経て、栗原寺にて、秀衡の使者樋爪太郎と共に無事平泉に至ったという。

この物語から、亀若丸の産湯つまり「姥の湯」に変化したものとされる。その後、「姥の湯」は温泉として開湯。文献によると奇しくも1603年、徳川時代幕開けの年であった。





当館が大崎市の街ネタに紹介されております(^O^☆♪
割引情報も載っていますので、是非ご覧下さい♪
http://wom-tv.com/miyagi_osaki/m/e/00001208.php

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義経ゆかりの湯 姥乃湯
TEL 0229-83-2314
FAX 0229-83-4084
MAIL info@ubanoyu.com
URL http://ubanoyu.com

皆様にお会いできる日を
心よりお待ち申し上げております。
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  • 2013.06.12 Wednesday
  • 09:43

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